Thursday, August 22, 2013

慈悲とは? What is Compassion?

Q: 倫理でわからない問題があるので僕に教えてくれませんか? また、4つの記述があるのですが1つ1つになぜ間違っているのかや、合っているかを理由つきで教えて下さい。よろしくお願いします。
慈悲に関する記述として適当でないものを、①~④のうちから選べ。 ① 慈悲とは、生命あるものすべてをいつくしみ、あわれむ心である。この心は、仏教集団内に戒律と個々人の修行を重視する傾向を生み出した。 ② 慈悲とは、生命あるものすべてをいつくしみ、あわれむ心である。この心は、無我の立場や空の教えと不十分な関係にあるものである。 ③ 慈悲とは、生命あるものすべてをいつくしみ、あわれむ心である。この心は、阿羅漢を理想とし自分一人の悟りを求めて修行する立場において見失われがちであった。 ④ 慈悲とは、生命あるものすべてをいつくしみ、あわれむ心である。この心は、すべての人々の救済を第一にめざした菩薩のうちに理想化された。

A: 慈悲に関する記述として適当でないものは、②だと思います。その理由は、空性や無我という究極の真理を理解する智慧から自動的に導き出すのが慈悲であり、空性や無我と慈悲の関係は密接だからです。ビジュアルには以下URLのp2をご参照下さい(叡知を智慧、理性を慈悲と読み替えて下さい)。 http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-22155817

その他の3つは正しいと思います。正しい理由を敢えて解説するならば以下の通りです。

①菩提心(他に幸福をもたらすために自分が悟りを開くことを誓う心)を維持するには、自分の行動が道徳倫理に沿っているかを常に監視し、心を一点集中し多角度分析することにより本質を見極め、智慧を頭に叩き込む必要があります。簡単に言うと、理性で煩悩を制御して心を汚さず、慈悲を湧き上がらせて実践し、心の純度を高める必要があるということです。そのためには厳しい戒律や修行を実践することが有効なのです。これは他の宗教に於いても同様です。

③自分一人の悟りを求めて修行する立場は自己中心的な態度であり、衆生に幸福をもたらしたいと望む慈悲心とは対立する関係にあります。従って、自分一人の悟りが目的だと、慈悲心が見失われがちになるのは当然です。尚、サムイェー寺の宗論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%BC%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%AE%97%E8%AB%96 が質問の背景にあると想います。慈悲心が悟りに最重要であると主張したインド仏教と瞑想だけで悟れると主張した中国仏教との間の宗教論争ですが、この論争の結果、チベット国王はナーランダ・マスターの一人であるカマラシーラの主張を正統仏教と認定し、インド仏教が勝利を収めました。

④慈悲の象徴は観音菩薩ですが、慈悲心の根底には菩提心があります。他に幸福をもたらしたいと望み実践すること、即ち利他行こそが、他を幸福にするだけでなく、自分をも幸福にすることだからです。