Monday, October 6, 2014

仏陀の教えの原型

1. 無知の根本原因 

仏陀は無知の根本原因については、明言しませんでした。なぜでしょうか?無知の原因は、エゴ(自性自己または独立した自己)です。エゴは両親から自分を守るために、傷ついたインナー・チャイルドによってでっち上げられました。それは、インナー・チャイルドが、(無意識に)両親から無条件に受け容れられなかったからです。エゴの原因は、前世までのカルマです。カルマは、潜在意識に刻印され輪廻転生します。ですから、無知の根本原因はカルマなのです。ついに、因果の法則の完成です。一方、仏教の中核哲学は"空性(独立した自己の不在)又は無我」です。この意味で、仏教には矛盾があります。なぜなら、自己が仏教の中核哲学で拒否されているにも拘わらず、自己(エゴ)が無知の原因として認識されているからです。そのため、無知の根本原因がはっきりと言及されていないのかもしれません。 

2. 仏陀の真意

仏陀はエゴ(自性自己)を認識していたからこそ、その解決策として「空性(独立した自己の不在)または無我」を説いたのだと思います。仏陀は今日の世界と同様、ほとんどの人がエゴ(自性自己)であることに気付いていたに違いありません。仏陀は、この地球の究極の真理が「空性(相互依存)」であるにも拘わらず、ほとんどの人がその究極の真理に反する歪な見方を持っていることを理解していました。ですから、仏陀は人々が無知に苦しんでいると言ったのです。そして、人々の苦しみを減らすことを助けるための解決策として、仏陀は究極の真理に合致する正しい見方を示したのです。私はそのように感じます。 
別の可能性としては、仏陀が苦しみを変容するための解決策として無我をあまりにも強調していたので、人々の誤解を避けたかったということがあり得ます。もし、仏陀がエゴ(自性自己)の存在を認めると、人々は「自己は過去に存在したことがない」と仏陀に教えられてきた可能性がありますので、人々は混乱したかもしれません。もしそうであれば、仏陀は無知の根本原因が自性自己(エゴ)であるとは説明できません。

3. 仏教経典への未記載

なぜ、仏陀の真意が仏教経典に記載されていないのでしょうか?究極の真理である「空性(独立した自己の不在)または無我」が、仏陀の制御不能状態に陥ったのかもしれません。それ故に、仏陀の弟子たちは無知の根本原因がエゴ(自性自己)であることを知っていたにも拘わらず、矛盾と混乱を回避するためにそれについて言及しないことを決めたのかもしれません。弟子たちは無知を超えたくなかった可能性があります。 

4. カルマとの関係

仏教徒はエゴ(自性自己)なしで、無知とカルマの関係をどのように説明できるでしょうか?もし、エゴ(自性自己)の機能を活用しないのであれば、潜在意識に刻印されたカルマがどのように転生するのかを説明することは不可能です。なぜなら、エゴ(自性自己)は無知とカルマを繋ぐ手段として必要不可欠だからです。

5. 仏陀の教えの原型への復活

仏教は、仏陀の教えの原型へ復活するために、無知の根本原因はエゴ(自性自己)であることを明言する必要があると実感します。仏陀は「あなた自身が、全宇宙の誰もと同等に、あなたの愛と愛情を受けるに値する」と言いました。ティク・ナット・ハンは、「自分を愛することは他人を愛する基盤です」と言いました。二人共、自己愛が極めて重要であると私たちに教えています。それは、無条件の自己愛は私たちが本当の自分(無自性自己)に復活し、エゴを手放すことを可能にしてくれるからです。無条件の自己愛は人間性の進化を加速させるでしょう。
 
釈迦牟尼仏陀