Tuesday, October 14, 2014

「空」か「無条件の自己愛」か?

以下は、自らの実体験です。「空」により自分のエゴ(自性自己)を手放すことはできませんでした。しかしながら、私は「無条件の自己愛」により、自分のエゴ(自性自己)を手放すことができました。 (http://compassion5151.blogspot.jp/2014/08/root-cause-of-ignorance.html をご参照下さい) 

「空」と「無条件の自己愛」は同一ではない、と理解しています。たとえ、自分を愛することができなくても、空に到達することは可能です。しかしながら、エゴを手放すことはできません。無条件に自分を愛することができる場合にのみ、エゴを手放すことができるのです。従って、自らの実体験は、自己愛が欠如すると与えられるものは何もないので、「空」では思いやりを実践することを可能にすることはできないことを示しています。自分を愛することなく、どうして他を愛せるでしょうか?自分を愛する場合にのみ、他を愛し、他に思いやりを実践できるのです。

瞑想の果実が「空」であり、自己探求の果実が「無条件の自己愛」であると感じます。一つの証拠は、ダライ・ラマ法王は空の智慧をお持ちですが、以下の通り「自己嫌悪」(人が無条件の自己愛を持てない理由)を理解できないということです。 
http://www.rebelbuddha.com/2011/01/buddha-nature/


Nonskollen peak in Northern Norway Photo by Zsolt Kiss