Saturday, July 4, 2015

洞察と非思考

歴史的次元(時空間)、または現象界においては、全ての現象は客観的現実ではありません。全ての現象は自分の心の対象です。ですから、自分がエゴ(独立した自己)なら、自分が見る全ては幻想であると私は理解しています。そして、自分が本当の自分(独立していない自己)なら、自分が見る全ては現実です。全ては、私たちが誰であるかに依ります。

なぜなら、エゴは不必要な煩悩と正しくない思考を引き起こす誤った見方、または誤った知覚を持っているからです。そして、本当の自分は全ての見方、または全ての知覚の不在を意味する正しい見方を持っています。ところで、単純に誤った見方とは、「私は特別、別格」という見方を意味します。もし、私たちがマインドフル集中しているなら、洞察(正しい見方)を得ることができます。そして、正しい見方が私たちの中で堅実なら、私たちは正しい考えを持つことができます。

ティク・ナット・ハンは、「正しい考えは物事のあるがままを映し出します。誤った考えは私たちに物事を『逆さま』に見させます」及び「非思考なら、私たちは言葉や概念から自由になり、現実に深く接触します」と言いました。従って、正しい考えとは、非思考を意味します。これらの言葉は悟りを開いた人だけでなく、全ての動物、植物、鉱物にも適用可能であると、私は思います。なぜなら、全ての動物、植物、鉱物は考えずに常にマインドフルだからです。人間、動物、植物、鉱物の要素は全て、水、空気、大地、太陽光であり、同一です。そして、要素の各素粒子とエネルギー意識を包み込んでいます。ですから、崩壊した人体と意識は岩の内部にさえあるに違いあしません。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275

Patino Flat Rock, Australia Photo by William Patino