Wednesday, August 19, 2015

ナマ・ルパ(心と体) (1)

本ビデオのティク・ナット・ハンの重要なメッセージは以下の通りです。

(1:15:24 ~ 1:26:10をご覧下さい)

神経科学では、私たちの貯蔵意識(阿頼耶識、潜在意識)に非常に近い背景意識について語ります。仏教では、意識の一部として昼夜を問わずいつも働いている貯蔵意識について語ります。貯蔵意識は、情報を受信し、情報を貯蔵することができ、情報を処理し学ぶことができます。(中略)

心の意識(顕在意識)はずっと遅く、また高価です。なぜなら、私たちの脳は多くのエネルギーを費やすからです。一方、私たちの貯蔵(意識)は、はるかに少ないエネルギーを費やします。貯蔵(意識)はいつも継続している一方、心の意識は時々そろって働きを停止することができる意識のようなものです。あなたが昏睡状態にある場合には、心の意識は完全に停止するかもしれません。又は、あなたが「無心集中」と呼ばれる一種の集中に入る時、あなたはまた、完全にあなたの心を停止します。全く思考がなくなります。

そして、心の意識は目の意識、耳の意識、鼻、舌、体(意識)と共同して作動することができます。また、心の意識は単独で作動することもできます。あなたが五感の全ての窓を閉め切ると、心はそれ自身だけで作動することができます。あなたが深い集中を実践する時、あなたは全ての起こっていることを無視することができます。あなたは全ての五感の扉を閉じて、あなたは心の意識と瞑想の対象に深く入り込みます。すると、心の意識は集中した状態になることができます。また、心の意識は分散状態になることができます。心の意識は精神病の状態になることもできます。

しかし、仏陀の教えでは、心の意識であろうが貯蔵意識であろうが、その意識は体に寄りかかる必要があります。私たちは、体なしでは顕現することができません。そして、体もまた意識なしでは単独で存在することはできません。ですから、心と体は相互に依存しています。それは、左右のようなものです。もし、あなたが体は心なしで存在することができると思っているなら、それは間違っています。それは生体ではありません。それは死体です。ですから、心が心であるためには体に寄りかかる必要があり、体が体であるためには心に寄りかかる必要があります。心と体は相互に依存しているのです。そして、心と体は同時に顕現します。あなたは体が先で心が後だと言うことはできません。否。それは相互顕現の過程です。

(つづく)