Sunday, August 23, 2015

無願

本ビデオのティク・ナット・ハンの重要なメッセージは以下の通りです。

(57:04 ~ 1:00:22をご覧ください)

(今ここに)存在していること、マインドフルネスを有すること、(今ここに)真に存在していること、今この瞬間に何が起こっているかに気付いていることが悟りです。自分が生きているという事実を私は分かっています。自分が呼吸するための新鮮な空気があるという事実を私は分かっています。(本当の自分は今この瞬間に起こっていることを認識できますが、エゴはあるがままの現実に触れることができませんので、認識できません。)悟りは、常に何かの悟りです。新鮮な空気が手に入ります。母なる地球が奇跡として存在しています。私の体は奇跡です。永遠は可能です。悟りは可能です。兄弟愛、姉妹愛が手に入ります。ですから、今ここで全てのものが手に入るのです。それが無願(願う必要は何も無いこと)です。

先日、私たちは水を探し求めている波について話しました。波が水を探すのは愚かです。波は既に水です。もし、波が自分は水であることを知らないなら、波は怯えます。上昇して、波は怯えます。下降して、波は怯えます。波は始まりを恐れ、終わりを恐れ、存在を恐れ、非存在を恐れ、高くなることを恐れ、低くなることを恐れます。しかし、波は自分が水であることを実感した瞬間、波は全種類の煩悩を失くせます。すると、波は水を探しに行く必要がなくなります。波は、正に今ここで水です。(波はエゴの例え、水は本当の自分の例えです。本当の自分は自分が他の全てと同一の全宇宙であり、形を変えながら継続していることを知っていますので、恐れることはありません。)

ですから、マインドフルネスと集中によって、神の王国や悟りも含めて、私たちは何も探しに行く必要はありません。なぜなら、吸う一息一息が悟りをもたらすことができるからです。一歩一歩が悟り、喜び、平和、思いやりをもたらすことができるからです。なぜなら、あなたは既に自分がなりたいものであるからです。(そのような一息一息、一歩一歩は、本当の自分の行動です。エゴの行動ではありません。)あなたは仏陀になる必要はありません。あなたは既に仏陀です。あなたが息を吸い込む時、あなたは自分が息を吸い込んでいるのを知っています。(呼吸をしている本当の自分に気付いた時点で既に仏陀です。)そこに悟りがあります。悟りとは、気付きであり、集中です。そして、仏の境地はあなたの性質です。

あなたが自分と仏陀の間で差別をするなら、それは愚かなことでしょう。(凡人の自分が悟りを開いた仏陀になれるはずがないと思い込むことは、自分と仏陀を分離することです。仏陀は自分の中に既に居ます。)仏陀を見つける最も安全な場所は、あなた(の中)です。そして、それが無願(apranihita)の意味です。あなたが走るのを止めると、あなたはすぐに平和になります。(走るのはエゴであり、幸せは今この瞬間に手に入るにもかかわらず、未来の幸せを目指して日夜奔走し続けています。)そして、あなたはすぐに幸せになります。これは解脱の素晴らしい扉です。

(注)( )内の記載は私の解説です。


Best friends Photo by The Ugly Daughter