Thursday, August 27, 2015

アートマン(自己)とダルマ(世界)

本ビデオのティク・ナット・ハンの重要なメッセージは以下の通りです。

(59:42 ~ 1:05:07をご覧ください)

仏教の文献では、自己と世界について語ります。私たちはアートマン(自己)とダルマ(世界)について語ります。アートマンは自己であり、ダルマは世界です。仏教の文献では、大文字のDから始まるダルマは仏陀の教え、即ち法を意味することを私たちは知っています。しかし、小文字のdから始まるダルマは物、世界、即ち私たちの知識の対象、私たちの知覚の対象を意味します。人間(アートマン)がいて、それから人間の世界(ダルマ)があります。

あなたが自分自身、もっと言えばあなたの体を観ると、体は体以外の要素からできていることを理解します。全世界が自分の体の中にあることをあなたは理解します。すると、あなたはアートマン(自分)とダルマ(世界)を区別できません。あなたと世界は二つの異なるものではないのです。私はロヒタッサ(赤馬)のお経について瞑想したことがあります。その意味は非常に深いです。あなた(アートマン)は、世界(ダルマ)です。あなたは世界の中にいて、世界とあなた、あなたたちは相互に依存しています。(人と世界は相互に依存して共同発生しています。)

ずっと前に、私は「太陽・私の心臓」のタイトルで瞑想の本を書きました。その日、私は太陽について瞑想し、太陽は私の心臓であることを理解しました。もちろん、私は自分の体の中に心臓を持っています。そして、この心臓が機能しなくなれば、私はすぐに死んでしまうことを知っています。しかし、私が太陽を見る時、自分の体の第二の心臓として太陽を見ます。そして、太陽が機能を停止するなら、私はまたすぐに死んでしまいます。ですから、私はただ一つの心臓を持っているのではありません。私は多くの心臓を持っています。そして、私の心臓は体内にもあるし、体外にもあります。 「太陽・私の心臓」

ですから、あなたが私の方向を指さすなら、私はそこにいます。しかし、あなたが反対の方向を指さすなら、私はそこにもいます。ですから、私たちが入っている世界は私たちと一つです。私たちが世界なのです。私たちの体の中に持っている四つの要素は、私たちの体の外にあります。ですから、ここの中とか、あそこの外という概念は、単なる概念です。概念は障害であり、現代科学が克服しなければならない最も困難な障害です。(人間によって創造された概念は、あるがままの現実に触れる障害になります。)

意識はここの中にあるもの。そして、世界はあそこの外にあるもの。その種の二元的思考は大きな障害です。ですから、私たちが有する世界と言うのではなく代わりに、私たちそのものである世界と言うべきなのです。あなたが世界なら、どのようにして世界から抜け出すことができるでしょうか?それは不可能です。(世界(=人)は、世界から抜け出すことはできません。)

ですから、仏陀は正しいのです。歩行や飛行の方法では、光速だとしても、(世界から脱出することは)不可能です。しかし、あなたが深く観る実践方法を知っているなら、脱出法、生と死、苦しみ、絶望からの脱出法があるでしょう。ですから、仏陀は自分の体の中を深く観る実践をすることを私たちに提案したのです。そして、自分の「体」の中を観ることによって、あなたは「心」を理解し始めます。(なぜなら、世界は私たちの心の対象だからです。)

(注)( )内の記載は私の解説です。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275

Sunrise at Bathurst, NSW, Australia Photo by David Roma