Sunday, September 6, 2015

生まれ変わりはありますか?

次の二つの違いを理解していますか?


(5:51 ~ 8:02迄、上のビデオをご覧ください。)
「ですから、科学的に言えば、事実は誕生と死が今、この瞬間に既に起こっているのを、あなたは理解できるということです。そして、細胞の死によって、細胞の誕生が可能になります。細胞の誕生が可能だから、細胞の死が可能なのです。(中略)ですから、誕生と死はいつも同時であることを私たちが知ると、もはや死ぬことを恐れはしません」と、ティク・ナット・ハンは言いました。

(8:02 ~ 13:36迄、上のビデオをご覧ください。)
「科学者たちは既に、誕生も死もないことを表明しました。何も創造されることなく、何も失われることはないのです。変容だけがあります。ですから、変容は可能であり、現実です。そして、誕生と死は現実ではありません。あなたが誕生や死と呼ぶものは変容でしかありません。(中略)ですから、誕生と死は表面でのみ見られます。あなたが掘り下げれば、深掘りするなら、誕生も死もありません。継続があるのみです。そして、あなたが継続、不生不死の性質に触れた時、あなたはもはや死を恐れることはありません。(中略)自分が死ぬのは不可能であることを、私たちは知っています」と、ティク・ナット・ハンは言いました。

前者は誕生と死は可能であると言い、後者は誕生と死は不可能であると言っていますので、二者間には大きな違いがあります。両者共科学的知見であるにもかかわらず、両者の結論は全く逆です。なぜ矛盾があるのでしょうか?

それは、科学分野が異なるからです。前者は生物学における科学的知見ですが、後者は物理学、特に量子物理学における科学的知見です。両者の領域は異なります。前者は一般的真理の領域にあり、後者は究極の真理の領域にあります。 (四聖諦は、一般的真理に基づいており、般​​若心経は究極の真理に基づいています)

言い換えると、前者は誕生と死の概念に基づいていますが、後者は誕生と死の概念に基づくものではありません。後者は概念に依存せず、概念に触れることなく、ただあるがままの現実に触れます。私たちは概念に捉われてしまいますので、概念を用いて現実の本質に触れることはできないのです。

概念は、人間、即ち人間の脳によって、区別、差別、分離のために創造されます。ですから、私たちは概念を通して自由を持つことはできません。そして、概念は必ずしもあるがままの現実の本質を映してはいません。ほとんどの概念は、精神投影を通して幻想を引き起こします。なぜなら、概念は、アイデア、知覚、見方、考え、言葉等によって創造されているからです。

ですから、誕生と死は単なる概念であり、あるがままの現実ではありません。しかし、一般的真理は概念に基づいており、人々は人間が創造した一般的真理を唯一の真理であると信じています。しかし、それらの殆どは幻想であり、現実ではありません。私たちはこのことについて非常に注意する必要があります。

従って、私たちは人間が創造した一般的真理に騙されてはいけません。私たちは、究極の真理を理解するためにあるがままの現実の本質に触れる必要があります。そのためには、他の動物、植物、鉱物のように、私たちは考えるのを止め、全ての概念を投げ捨てねばなりません。私が知っている最高の手法は、マインドフルネス、集中、洞察です。次の書籍は皆さんをその具体的な実践方法へご案内します。
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(参考)http://www.huffingtonpost.com/entry/thich-nhat-hanh-life-after-death_55e5ff24e4b0c818f61971c7
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275
(1:03:00 ~ 1:23:25) https://www.youtube.com/watch?v=ms6EylTW-2o