Sunday, September 27, 2015

デヴィッド・ボーム (4)

次のビデオをご覧ください。デヴィッド・ボームの言っていることは、正に仏陀が「空」によって説いたことと同一です。


完全性:現実への可干渉的なアプローチ – デヴィッド・ボーム (4)

完全性は態度というか一つの取り組み方ですが、相対性理論と量子論によって科学的な理解を付与され得ます。私たちが望むなら、世界を一つの全体とみなすことができます。

意識は真に、この内在的秩序の最も直接的な経験です。あなたはもっともっと細かい意識の網について考えるかもしれませんし、私たちは内在的秩序のもっともっと細かい側面をとらえることについて考えるかもしれません。意識には暗黙の知性、広がる知性のようなものがあると私は思います。知性の源は必ずしも脳内にないことは分かりますよね。究極の源のことです。しかし、知性の源は全体の中に包み込まれているのです。さて、あなたがそれを神と呼びたいものについての質問は、あなたが(神という)言葉によって何を意味するかに依ることは分かりますよね。なぜなら、個人的な神として(神という)言葉を受け止めると、何らかの方法で(神という)言葉を制限してしまうかもしれないからです。

世界観の主要な源として、科学は宗教に取って代わり始めたと私は思います。それ故に、科学が断片的な世界観を採るなら、科学は意識に重大な(悪)影響を持つことになります。

人々が科学から作るものは何でも科学であり、科学はいつの時代も変化してきました。そして今、科学は2~3百年前のものと異なっており、再び異なる可能性があります。科学は必ずしも測定を伴わなければならないという固有の理由はありません。それは過去2~3世紀にわたって起こったもう一つの歴史的な発展です。測定は完全に偶発的であり、絶対に必要ではありません。

(内在的秩序を理解できれば、意識は体の中(各素粒子とエネルギーの内部)に包み込まれており、その意識は私たちが見たり知っていることの全てを包み込んでいることが分かります。そして、全体が包み込んでいる意識の中に「神」と呼ぶこともできる知性の源が包み込まれているとデヴィッド・ボームは明言しています。これは、仏陀が全ての物には既に仏性が宿っていると説いたことと重なります。また、分割不可能な一つの全体である世界を切り刻む断片的な世界観にデヴィッド・ボームは警鐘を鳴らしています。これも、分離による二元性が、あるがままの現実の本質に触れることを妨げるので、非二元性へ至るために「空」の智慧を説いた仏陀の教えと重なります。そして、断片的な世界観や二元性の根源は、人間(エゴ)がでっち上げた考えや概念なのです。どうやら、仏陀の教えが全て科学的に解明される日が来るのは、間違いない予感がします。

(注) 括弧書きの中は私の解説です。

(つづく)

(参考)
http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

Albert Einstein's theory of general relativity in 1915