Sunday, December 27, 2015

真の「空」

以下は、ティク・ナット・ハン著「太陽、我が心臓」からの抜粋です。

引用:
(生と死の網はバラバラに引き裂かれ得る)
真の「空」の瞑想の代わりに使用することができるもう一つの瞑想があります。それは存在の奇蹟についての瞑想と呼ばれています。 「存在」とは、現在あることを意味します。 「存在の奇蹟」とは、「宇宙がそれぞれの物の中に含まれていること、そして宇宙がそれぞれの物を含んでいなければ存在できなかったことに気付くことを意味します。相互関連性相互浸透相互依存についてのこの気付きは、私たちが何かが「ある」とか「ない」とか言うことを不可能にしますので、「奇蹟的存在」と呼ぶのです。

オッペンハイマーは、電子の性質についての質問に4回「いいえ」と答えたにもかかわらず、電子が存在していないことを意味したのではありませんでした。仏陀は、「あなたは今生の中でさえ、如来を見つけることはできない」と言ったにもかかわらず、如来が存在していないことを意味したのではありませんでした。大般若波羅蜜多経(大般若経)は、この状態を説明するために「非空(空でない)」という単語を用います。「非空(空でない)」とは、 「存在の奇蹟」と同じです。「真の空」と 「存在の奇蹟」は、私たちが存在と非存在の間で差別する罠に陥らないようにすることができます。

電子と如来のどちらも、存在と非存在の概念を超えています。電子と如来の真の「空」と存在の奇跡の性質は、存在と非存在の罠から私たちを救い、非概念の世界へと直接私たちを導きます。存在の奇跡の瞑想を私たちはどのように実践できるでしょうか?相対性理論を理解している人は誰でも、空間が時間と物質の両方に密接に関係していることを知っています。そのような人にとっては、まだ空間が時間と物質から独立して存在すると信じている人より、空間は大きな意味を持ちます。私たちが蜂を見る時、まず私たちは相対性理論を理解する物理学者の目を通して蜂を見てみたいかもしれないし、その後蜂の中の真の「空」存在の奇跡を見るために、物理学者の目を超えてさえ行きたいかもしれません。もし、あなたの全存在で(全宇宙として)、定期的にこれを行うことを試みるなら、生と死の網内のもつれからあなたは解放されると私は確信しています。禅の世界では、生と死の問題は常に最も緊急なものであると見なされてきました。白隠禅師は非常に大きく死の文字を達筆で書き、より小さな一筆で「この言葉(死)の奥底まで理解する者は皆、真の英雄である」と付け加えました。
:引用終わり

(解説)
真の「空」は現象と本体の間の究極の真理であると私は理解しています。真の「空」は、量子物理学の内在的(包み込まれた)秩序と外在的(開かれた)秩序によって説明することができます。現象(体)は本体(意識)へ包み込んでいます。本体(意識)は現象(体)へ(包み込んだものを)開いています。私たちが現象に深く触れると、本体に触れることができます。要するに、本体の世界は時間と空間や、全ての概念のない世界です。マインドフルネス、集中、洞察は、真の「空」を理解する手法です。

(Cf.) http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS
http://www.amazon.co.jp/dp/B00WBP308Q
http://www.amazon.co.jp/dp/B01816ZRD4

ティク・ナット・ハン