Saturday, July 16, 2016

輪廻、転生、継続 +α

次のティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。


以下は、私が貴重と感じる抜粋です。

(1:00:23~)
ですから、「無常」の洞察「無我」の洞察は、裁判官、政治家などを含む、全ての人を助けることができます。永遠に変わらないでいられるものは何もありません。2つの連続した瞬間の間でさえもそうです。

最初に、鐘の音を聴くための別の詩がありました。

  「私は聴く。私は聴く。この素晴らしい音は、私を私の本当の自分へ連れ戻してくれる。」 
 (私 = エゴ、即ち独立した(自性)自己、本当の自分 = 独立していない(無自性)自己)

しかし、多くの人は、「自己」という言葉を理解していませんでした。仏教は、「自己」の存在を説いておらず、認めていません。なぜあなたは、「私は聴く。私は聴く。この素晴らしい音は、私を私の本当の自分へ連れ戻してくれる」と、言うのでしょうか?もし、私たちが独断的であってはならないのなら、自己について話せる、と私は思います。自己(エゴ)は、自己(エゴ)以外の要素のみからできていることを私たちが理解しているならば。自己(エゴ)があるなら、その自己(エゴ)を(本当の自分と)同系交配させてください。すると、その自己(エゴ)は、自己(エゴ)以外の要素のみからできていることになります。ですから、自己(エゴ)は、自己(エゴ)以外(無我)に等しいのです。ですから、私たちは言葉に捕捉されてはなりません。自己(エゴ)は存在しない(無我)と言うことは、正しいです。しかし、あなたが自己(エゴ)が自己(エゴ)以外の要素からできていることを理解しているなら自己(エゴ)は存在すると言うこともまた、正しいです(エゴはエゴ以外の要素、即ち無我に他ならないことを理解できているから)。理解できますか?ですから、あなたは争う必要はありません。仏教は非常に寛容です。もし、あなたが寛容でないなら、心を開いてないなら、あなたは仏教徒ではありません。自分だけが真理を手にしていると主張してはいけません。

(1:09:08
ですから、物事は常に変化しており、新しい形をとっています。それが輪廻(生まれ変わり)です。それが転生です。そうすると、あなたが生まれ変わるために、継続されるために、この体の崩壊まで待つ必要はないのです。(中略)

ですから、もし、あなたがチベット仏教の研究生なら、あなたの師の転生を探しに行くのに、師が死ぬまで待つ必要はありません。師はもう既に周囲に存在しています。師は多分、あなたの中にいます。そうすると、あなたの師が存命中に、あなたは師を識別することができます。師がまだ師の現在の体で生きている間に、師の継続をあなたは特定することができます。(中略)

ですから、私たちは自分自身を別の見方で見ることを学ぶ必要があります。私たちは自分自身を、このだけ、この気持ち感情知覚心行(精神形成物)だけとして識別すべきではありません。毎日あなたは、多くの思考発言行動を生み出します。そして、これら(カルマ、業)があなたを継続するのです。(中略)

が常にとなり、となり、となり、お茶となり、あなたのアイスクリームとなって継続するように、あなたは常にあなたのカルマ(業、行動)となって継続します。(中略)

生と死は、全ての瞬間に起こっています。正にこの瞬間に、数百万もの細胞が体内で死んでいます。それは、起こっています。死は後のことだとは考えないでください。死は、あなたが80歳か90歳になった時のことだろうと。いいえ、そうではありません。死は、正にこの瞬間に起きているのです。あなたは今、ここで死んでいる最中です。

なぜ、あなたは死ぬことをそんなに恐れているのですか?なぜなら、あなたは今、あらゆる瞬間に死んでいるからです。他の多くの細胞が生まれるように、多くの細胞が死んでいるのです。そして、この瞬間に、あなたは生まれています。あなたにはひっきりなしに誕生祝いがあり、毎回幸せな瞬間を過ごします。

私たちは超多忙です。私たちの細胞の葬式を設定する時間がありません。私たちの新しい細胞の誕生を祝う時間がありません。誕生と死はいつも一緒です。 一方がなければ、他方はあり得ません。誕生は死と四六時中行動を共にします。(中略)

ですから、あなたは日常生活のあらゆる瞬間に生まれ変わっています。そして、瞑想によってあなたは自分の転生を理解することができます。あなたが思考を生み出すたびに、良くも悪くも生まれ変わっています。そして、全ての思考、全ての発言、全ての行動には私たちの署名がありますので、私たちは自分の行動に責任があります。あなたは(心の)であり、あなたには名前があります。

(1:24:52)
あなたが腕のいい実践者なら、吸う一息だけで、あなたは苦痛を伴う感情喜びへと変容できます。マインドフルな吸う一息が苦痛を伴う感情に、苦しみに(根本原因を解明するための)多くの光明を投じることができます。

(解説)
ティク・ナット・ハンが指摘した通り、チベット仏教の理解では、転生は死後に起こらねばなりませんので、私たちはチベット仏教に注意する必要があります。彼らは、微細な意識が死後に体を離れると信じているのです。

2つのバージョンの自己があることを、私たちは理解する必要があります。一つは、エゴ = 独立した(自性)自己であり、もう一つは、本当の自分 = 独立していない(無自性)自己、即ち目覚めた意識です。悟りや目覚めとは、エゴから目覚めた意識への自己変容を意味します。

ティク・ナット・ハンは、正しい思考(正思惟)について説明しました。私はそれが何を意味するかを理解しています。しかし、「思考」という言葉は、非常に紛らわしいものです。なぜなら、全ての思考が煩悩苦しみをもたらす「分離」を引き起こすからです。ですから、全ての思考は誤った思考であり非思考(考えないこと)が正しい思考なのです。この意味で、誤解を避けるためには、「洞察を得る」と言う方が「正しい思考」と言うよりもはるかに優れています。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275
http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436

ティク・ナット・ハン

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