Wednesday, January 20, 2016

マインドフルネスの奇跡 (4)

以下は、ティク・ナット・ハン著「マインドフルネスの奇跡」からの抜粋です。

引用:
(全ての行為は儀式)
呼吸はもろい一本の糸のようなものです。しかし、一度私たちが呼吸の使用法を知れば、呼吸は、知っていなければ絶望的と思われるような状況を克服するのに役立つ非常に良い道具になれます。呼吸は私たちの体から心への橋であり、私たちの心と体を調和させ心と体の一体感を可能にする要素です。呼吸は心と体の両方を整え、呼吸自体が心と体の両方を照らして平和と穏やかさをもたらしながら、心と体を寄せ集めることができる道具です。

多くの人や本が正しい呼吸法から生じる莫大な利益について議論しています。彼らは呼吸法を知っている人は無限の活力を築き上げる方法を知っている人であると報じています。呼吸はを築き上げ、血液を強化し、体内の全ての臓器を生き返らせるからです。彼らは適切な呼吸は食べ物よりも重要であると言います。そして、これら陳述の全てが正しいものです。

数年前、私は非常に病んでいました。数年間の服薬と医学的治療を受けた後、私の状態は改善されないままでした。ですから、私は呼吸法に切り替えたところ、そのおかげで、自分を癒すことができました。

呼吸は道具です。呼吸自体がマインドフルネスです。道具としての呼吸の使用は、人が莫大な利益を得るのに役立つかもしれませんが、これら莫大な利益はそれ自体目的として考慮され得ません。これらの利益は、マインドフルネス実現の副産物でしかないのです。

あなたが形式にとらわれた瞑想や経典精読や祈りの暗唱に充てる一時間の間だけではなく、1日24時間マインドフルになってください全ての行為がマインドフルネスで実行されなければなりません。それぞれの行為が儀式であり、儀礼です。口へと椀のお茶をもち上げるのは儀式です。「儀式」という言葉があまりにも厳粛な感じでしょうか?私は目覚めた意識の死活問題の実感へとあなたを揺さぶるために、その言葉を用いています。
:引用終わり

(解説)
人生は私たちがマインドフルな場合にのみ手に入ります。ですから、私たちは常にマインドフルネスで生きる必要があるのです。もし、私たちがパートタイムの仏陀なら、日常生活の全ての瞬間においてマインドフルな呼吸を実践する必要があります。一方、私たちがフルタイムの仏陀なら、24時間マインドフルな目覚めた意識に常になっています。

ティク・ナット・ハン