Friday, January 22, 2016

マインドフルネスの奇跡 (6)

以下は、ティク・ナット・ハン著「マインドフルネスの奇跡」からの抜粋です。

引用:
(目覚め=悟りのための瞑想)
瞑想実践者は、通常、悟りを得るために自分自身の性質を見抜くことを望みます。しかし、もしあなたが始めたばかりでしたら、「自分自身の性質を見抜く」のを待たないでください。いっそのこと、何も待たないでください。特にあなたが座禅を組んでいる間に、仏陀や「究極の現実」についてのあらゆる説明に出会うのを待たないでください。

最初の6カ月は、あなたの集中力を築き上げること、内面の穏やかさ安らかな喜びを創造することだけを試みてください。あなたは不安を振り払い、完全な休息を楽しみ、あなたの心を静めるでしょう。あなたはリフレッシュされより広くより明瞭なものの見方を得て、自分の中のを深めて強化するでしょう。そして、あなたはあなたの周囲の全てに、より親切に対応することができるようになるでしょう。

座禅瞑想はあなたの精神を滋養し、同様にあなたの体も滋養します。座禅を通して、私たちの体は調和を得てより軽く、より平和に感じます。あなたの心の観察からあなた自身の性質を見抜く道はあまりにも過酷なものではないでしょう。一度、あなたが自分の心を静めることができ、あなたの気持ちや考えがもはやあなたをかき乱さないなら、その時点からあなたの目覚めた意識)は心(顕在意識)に住み始めるでしょう。あなたの目覚めた意識)はもはや主体と対象を区別しない(心の投影なく)直接的且つ素晴らしい方法で心(心行)をつかむでしょう。一杯のお茶を飲む時、飲む人(主体)と飲まれるお茶(対象)のうわべの区別はなくなります。一杯のお茶を飲むことが、主体と対象の間の区別がもはや存在しない直接的且つ素晴らしい経験になるのです。

ちょうど水の中で波打つ波もまた水であるように、分散した心もまた心です。目覚めた意識)が心(心行)をつかんだ時、妄心は真心になります。真心とは本当の自分のことであり、概念言語によって創造された幻想部門の独立した自己エゴ)によって切り刻まれ得ない、純粋な一如(一体)である仏陀のことです。しかし、私はこのことについて多くのことを言いたくありません。
:引用終わり

(解説)
一度、私たちがマインドフルな呼吸を通して思考を停止すると、その時点で自覚(目覚めた意識)が復活します。目覚めた意識は、心の投影、即ち錯覚なしに、あるがままの現実に直接触れることができます。ですから、もはや(心の)主体と(心の)対象との間に区別はありません。目覚めた意識が心をつかんだ時、エゴ(独立した自己)から本当の自分(非独立自己)へ変容されます。本当の自分とは仏陀のことです。仏陀は全体(完全)性であり、概念や考えを通して幻想部門のエゴによって切り刻まれ得ません。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/1_24.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/2_25.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/3_26.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/4.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/5.html


ティク・ナット・ハン