Saturday, January 30, 2016

マインドフルネスの奇跡 (7)

以下は、ティク・ナット・ハン著「マインドフルネスの奇跡」からの抜粋です。

引用:
(瞑想は啓示し、癒します)
マインドフルネスで座禅を組むと、心と体の両方が平和になり、完全にリラックスできます。(中略)マインドフルネスでは、人は休まって幸せになるだけでなく、油断なく気づいてもいます。瞑想は逃避ではありません。瞑想は現実との穏やかな遭遇です。(中略)この種の用心深さを持っていることによってのみ、あなたは完全な目覚めを実感できるのです。

初心者には、純粋な認識の方法をお勧めします。純粋な認識とは判断せずに認識だけすることです。思いやりであろうが苛立ちであろうが、感情は歓迎され、認識され、絶対に平等に取り扱われるべきです。なぜなら、両方共自分自身だからです。(中略)私が赤ちゃんの仏陀やイエスをお風呂に入れる時に払うであろう種類の注意力で、私はこの急須をきれいにします。何もその他の全てのものよりも注意深く取り扱われるべきではありません(全てのものは平等に取り扱われるべきです)。マインドフルネスにおいては、思いやり、苛立ち、急須の全てが神聖なのです。

悲しみ心配憎しみ激情、 その他何でもに取りつかれている時には、純粋な観察や認識の方法は実践するのが難かしいようであるかもしれません。もし、そうであるなら、あなた自身の心の状態を瞑想の対象として使用して、固定した対象の瞑想へと切り替えてください。そのような瞑想は啓示し、癒します。悲しみや心配、憎しみや激情は、集中と瞑想の目にさらされて、それ自身の性質を啓示するのです。それは、自然に癒しと解放へ導く啓示です。悲しみ(何であれ苦痛を引き起こしたもの)は、とげを抜くのにとげを使うように、苦痛や苦しみから解放する手段として使用することができます。私たちは、抵抗することなく、耐え忍び、和解し、相互依存の瞑想によって心の性質に浸透しながら、私たちの心配、苦痛、憎しみ、激情を、優しく丁重に取り扱うべきです。人は状況に合った瞑想の主題を選択する方法をすぐに学習します。相互依存思いやり自己非執着のような瞑想の主題は全て、啓示し、癒す力を持っている瞑想のカテゴリーに属します。

しかしながら、これらの主題の瞑想は、私たちが日常生活の中で、起こっていることの全ての観察と認識において、マインドフルネスの実践によって得た力、一定の集中力を構築した場合にのみ成功できます。 しかし、瞑想の対象はただの哲学的推測ということではなく、あなた自身に本当のルーツがある現実である必要があります。各主題は熱い火で長時間調理されねばならない食品の一種のようなものであるべきです。私たちは主題をに入れ、ふたをし、にかけます。鍋は私たち自身であり、調理するために使用される集中力です。燃料マインドフルネスの継続的な実践から来ています。十分な熱がないと、食品が調理されることはありません。しかし、一度調理されると、食品はその本質を明らかにし、私たちを解放へと導くのを助けます。
:引用終わり

(解説)
洞察を得るためには、即ち現実の本質と苦しみの根本原因を理解するためには、マインドフルネスと集中が不可欠です。マインドフルネスを通して私たちは思考​​を停止し、自分の内面と周囲で何が起こっているかを認識するために、目覚めた意識を復活させます。集中を通して、私たちは現実の本質に触れるために、主題を深く見ます。すると最終的に、私たちは全ての概念、考え、知覚を捨て去ることができ、完全な悟りを開くことができるのです。