Thursday, April 21, 2016

死後の生 (1)

次の「死後に生はあるか?」という質問に対する、ティク・ナット・ハンの回答を深くご視聴ください。


以下は抜粋です。

引用:
は常にと同時にあります。(生は死の)前にあるだけでなく。そして、生は死と分離され得ません。生がある所には、死があります。死がある所には、生があります。

そして、これは少々瞑想を要します。仏教において、私たちは「相互依存」について話します。それは、あなたが自分だけでは存在できないことを意味します。あなたはもう一方の側と相互に依存する必要があります。それは、左と右のようなものです。もし、がないなら、は存在し得ません。もし、がないなら、は存在し得ません。からを取り除くことはできません。からを取り除くことはできません。(中略)左と右は一緒にいたいのです。なぜなら、他方なしでは、あなたは存在し得ないからです。それは非常に明白です。上と下のように。もし、がなければ、は存在し得ません。それが、仏教で私たちが「相互依存」と呼んでいるものです。双方が同時に存在しなければならないのです。

ですから、神が「あれ」と言うと、光は「えーと、私は待たねばなりません。神よ、私は待つ必要があります」と言いました。「でも、あなたは何を待っているのですか?」 「が一緒に顕現するのを私は待っているのです。なぜなら、光と闇相互依存しているからです。」すると、神は「は既に存在しています」と言いました。そこで、光は「そうであるなら、私()は既に存在しています」と言いました。

ですから、それは善と悪前と後こことあそこあなたと私についても言えます。あなたなしではは存在できません。蓮の花なしでは存在できません。がなければ、は存在し得ないのです。苦しみのないところに、幸せはありません。のないところに、はありません。

生物学者人体を観察する時、生と死は人体の中で同時に起こることを理解します。生と死は人体の中で同時に起こることを彼らは理解するのです。正にこの瞬間に、何千もの細胞が死んでいます。あなたがこんな風に引っ掻くと、多くの乾燥した細胞が下に落ちます。彼らは死んだのです。そして、多くの細胞が日常生活のあらゆる瞬間に死んでいます。あなたは超多忙ですので、あなたが死んでいることに気付きません。細胞が死ぬなら、あなたが死んでいるのです。あなたはまだ死ぬことはなく、死ぬには50年から70年後まで待たねばならない、と考えています。それは違います。死は将来いつかのことではなく、死は正に今、正にここにあります。ですから、死は今、ここで、あらゆる瞬間に起こっているのです。

そして、幾つかの細胞のがあるからこそ、他の細胞の誕生が可能なのです。ですから、多くの細胞が今、この瞬間に生まれています。そして、私たちは彼らのために誕生祝いを企画する時間がありません。ですから、事実は科学的に言うと、あなたは既に誕生と死が今、この瞬間に起こっているのを見ることができるということです。細胞のがあるからこそ、細胞の誕生が可能です。細胞の誕生が可能ですから、細胞のが可能なのです。生と死は、存在するために互いに寄り掛かっています。

ですから、あなたは瞬間毎に死んで、生まれることを経験しています。あなたがその瞬間(誕生日)にだけ、生まれたとは思わないでください。あなたの出生証明書に書かれたその瞬間は、単なる一つの瞬間というだけです。そして、それは最初の瞬間ではありません。その瞬間の前に、あなたが既にそこに存在していた瞬間がありました。あなたがあなたの母親の子宮の中で身ごもられる前に、あなたは別の形で、既にあなたの父親の中とあなたの母親の中にいたのです。ですから、誕生というものはなく、本当には始まりも終わりもありません

ですから、私たちが誕生と死はいつも同時であることを知った時、もはや死ぬことを恐れはしません。なぜなら、死の瞬間には、誕生もまたあるからです。誕生は死と共にやって来ます。そこで、死と誕生を分離することはできません。これは非常に深い瞑想です。あなたはあなたのだけで瞑想すべきではありません。あなたは、日常生活の中で生を観察する必要があります。すると、あなたは全てのものにおいて、生と死が相互に依存していることを理解します。木々、動物、天候、物質、エネルギー(等の全てにおいて)。
:引用終わり

(解説)
現象界の(人間を含む)全てのものにとっては、形を変えることによる継続しかありません。何も創造され得ず、何も破壊され得ません。そして、質量・エネルギー保存の法則 (E=mc2) に従って、エネルギーと質量の総和は生態系内において保存されます。それ故に、生と死は人間によって創造された概念に過ぎないのです。真実は、生まれることも死ぬこともないのです(不生不死)。あるのは継続のみです。全てのものは異なる形で永遠に継続するのです。 

ティク・ナット・ハンはこの究極の真理を深く理解しているのですが、一般的な真理(生と死の概念を使用することにより)を使用して、相互依存、即ち「空」に基づき、死後の生について説明しました。現象界(空間と時間内の外部世界)では、反対のペア(両極)は、独立した存在が空であり、相互に依存して同時発生しています。言い換えれば、両極は表裏一体なのです。ですから、死があるなら、生も同時にあります。それは、雲の死は雨の誕生であるというようなものです。雲と雨は両方共水です。雲と雨はただ異なった形で継続するだけなのです。水は決して死ぬことはなく、決して生まれることもありません。水は常に水です。

そして、同じことが人間にもまた言えます。私たちは、水、空気、土、太陽光のような全宇宙でできていますので、人間は常に全宇宙です。私たちが不生不死という究極の真理を理解したなら、全ての概念を投げ捨て、完全な悟りを開くことができます。一方、本体の世界(空間と時間のない内部世界)では、時空がありませんので何も存在することはできません。目覚めた意識(仏性または神性)のみが空間と時間を超越できますので、両方の世界を同時に生きることができるのです。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/notice-of-private-lessons-for-one-more.html
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42868476
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_6.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html

ティク・ナット・ハン