Friday, April 22, 2016

死後の生 (2)

次の「死後に生はあるか?」という質問に対する、ティク・ナット・ハンの回答を深くご視聴ください。


以下は抜粋です。

引用:
科学者たちは既に、生も死もないことを表明しました。何も創造されず、何も失われないのです。あるのは変容のみです。ですから、変容は可能であり、現実です。そして、誕生や死は現実ではありません。あなたが誕生や死と呼ぶものは変容でしかないのです。(中略)あなたが青空を見ると、あなたの見ていたはもう見当たりません。あなたはその雲が死んだと考えます。しかし、実際には、その雲はなどの形で、常に継続しています。ですから、誕生と死は表面的にしか見られていないのです。あなたが掘り下げ、深掘りするなら、誕生も死もありません(不生不死)。あるのは継続のみです。そして、あなたが継続、つまり不生不死の性質に触れた時、あなたはもはや死を恐れることはありません。

仏教徒だけが不生不死について語っているのではなく、科学もまた不生不死について語っています。両者は自分たちの研究成果を交換できます。それは非常に興味深いことです。これは、自分の不生不死の性質に触れることができるように、私たちがより深く人生を生きるための招待状です。そして、ティク・ナット・ハンの回答は、実践するための招待状でしかないことを私は知っています。私たちは、起こっていることに深く接することができるように集中して、よりマインドフルに人生を生きる必要があります。すると、不生不死という現実の本質に触れる機会を私たちは得ます。そして、それは仏教においては「涅槃」の用語で説明されています。涅槃とは不生不死のことです。

そして、キリスト教ではそれを「究極」、「」と呼ぶかもしれません。神は、不生不死という私たちの本質です。私たちは神を見つけに行く必要はありません。神は私たちの本質なのです。それはのようなものです。波は自分が誕生と死にさらされると信じています。そして、波が上昇して下降し始める度に、波は死を恐れます。波は死ぬことを恐れているのです。しかし、波が自分はであると実感したなら、もはや死を恐れはしません上昇する前、波は水です。下降する時、波は水です。そして、下降した後も、波は水であり続けます。死はありません。

ですから、波が瞑想し、自分は波であると同時に水でもあることを実感することが非常に重要です。そして、波が自分は水であることを知る時、もはや死ぬことを恐れはしません。波は上昇して素晴らしいと感じ、下降しても素晴らしい感じます。波には恐れがありませんそして、もまた同様です。雲は死ぬことを恐れていません雲は、自分が雲でなくなるなら、のような雲と同じ位美しい他のものになれることを知っています

ですから、波はを探しに行きません。波は今、ここで水ですので、水を探しに行く必要はありません。同じことが神についても当てはまります。私たちはを探す必要がありません。私たちが神なのです。神が私たちの本質なのです。あなたは涅槃を探しに行く必要はありません。涅槃は私たちの下地です。それが仏陀の教えです。私たちのかなりの人数が、そのことを実感できてきています。私たちは今、この瞬間を楽しみます。私たちは自分が死ぬのは不可能であることを知っています。
:引用終わり

(解説)
現象界の(人間を含む)全てのものにとっては、形を変えることによる継続しかありません。何も創造され得ず、何も破壊され得ません。そして、質量・エネルギー保存の法則 (E=mc2) に従って、エネルギーと質量の総和は生態系内において保存されます。それ故に、生と死は人間によって創造された概念に過ぎないのです。真実は、生まれることも死ぬこともないのです(不生不死)。あるのは継続のみです。全てのものは異なる形で永遠に継続するのです。 

ティク・ナット・ハンはこの究極の真理を深く理解しているのですが、一般的な真理(生と死の概念を使用することにより)を使用して、相互依存、即ち「空」に基づき、死後の生について説明しました。現象界(空間と時間内の外部世界)では、反対のペア(両極)は、独立した存在が空であり、相互に依存して同時発生しています。言い換えれば、両極は表裏一体なのです。ですから、死があるなら、生も同時にあります。それは、雲の死は雨の誕生であるというようなものです。雲と雨は両方共水です。雲と雨はただ異なった形で継続するだけなのです。水は決して死ぬことはなく、決して生まれることもありません。水は常に水です。

そして、同じことが人間にもまた言えます。私たちは、水、空気、土、太陽光のような全宇宙でできていますので、人間は常に全宇宙です。私たちが不生不死という究極の真理を理解したなら、全ての概念を投げ捨て、完全な悟りを開くことができます。一方、本体の世界(空間と時間のない内部世界)では、時空がありませんので何も存在することはできません。目覚めた意識(仏性または神性)のみが空間と時間を超越できますので、両方の世界を同時に生きることができるのです。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/notice-of-private-lessons-for-one-more.html
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-42868476
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_6.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html

ティク・ナット・ハン