Friday, May 13, 2016

マスターと弟子の関係

次の記事を深くご一読ください。 
http://www.wkup.org/love-between-us/
以下は抜粋です。

引用:
師(ティク・ナット・ハン)の脳梗塞の直前に、その時は既にボルドーの病院に入院していましたが、師はベトナム語には師弟関係を言い表す専門用語があると説明しました。その用語はtinh thay tro(師弟愛)であり、tinh huynh de(絶対必要な両親)という言葉に非常に似ています。英語やフランス語にマスターと弟子の間の関係に言及する言葉がないのは残念だったと師は説明しました。師弟関係を表わす言葉が存在する必要があります。師弟関係は非常に重要です。

これは本当に、師(ティク・ナット・ハン)が私たちに中継する最も重要なものです。つまり、サンガのメンバー間の愛師弟間の愛兄弟姉妹間の愛友人間の愛です。

私たちは常に自分と先生との間の関係を育むことができます。それは、私たちの内面の先生を見つけるということです。私たちは自分自身の中に先生、法(法身)を見つけます。なぜなら、自分自身の中に自分の先生仏陀本当の存在の気付きを持っている時、私たちは同じように振る舞い続けることはできないからです。例えば、同じように消費し続けたり、憎み続けたり、裁き続けたり、以前のように他人を批判し続けることはできなくなります。あなたが自分の中の先生に本当に気付いていると、そうすることはできないのです。なぜなら、そうすることが先生を傷つけることをあなたは知っているからです。

師(ティク・ナット・ハン)は、英語で‘Teacher-Studenthood’(先生と生徒間の愛、縁、愛情)という新しい単語を提案しました。しかし、師はその新語には本当に満足してはいないと言いました。フランス語でもまた、新語を待っています。新語を見つけるのは私たち次第です。私たちは新語をまだ有していませんが、マスターと弟子の関係は現実のものです。
:引用終わり

(解説)
私はよく似た話を、アジア応用仏教研究所の法師(ダルマ(法)の先生)であり所長でもあるファップ・カム師より聞きました。ファップ・カム師は、マスターと弟子の関係と、教師と生徒の関係には差異があります。辞書によると、『マスターとは、他の人がその教えを受け容れ追随する人のことであり、例えば禅マスターがそれに該当する。そして、弟子とは、他の教義の教え子、或いは信奉者追随者のことである』となっています」と言いました。先生と生徒の関係は、知識交換のようなものにより近いです。生徒は先生が教えることに忠実ではないかもしれません。」と言いました。ですから、私は師弟関係は教師と生徒との関係よりもはるかに強力であると理解しています。その関係は、知識の伝達だけではなく、同​​じ精神的家族内の系統の伝授でもあるということです。

私はまた、仏陀は「あなたはあなた自身のマスターである。そして同様に、あなたはあなた自身の敵でもある」と言ったということを聞いたことがあります。「あなたはあなた自身のマスターである」とは、目覚めた意識(独立していない(無自性)自己)があなたの(独立した(自性)自己の)マスターであるということを意味すると私は理解しています。そして、「あなたはあなた自身の敵でもある」とは、エゴ(独立した(自性)自己)があなたの(独立していない(無自性)自己の)敵であるということを意味すると私は理解しています。ですから、「私たちの内面の先生」とは、目覚めた意識独立していない(無自性)自己本当の自分全宇宙宇宙体法身、即ち仏陀を意味すると私は理解しています。

(参考)http://compassion5151.blogspot.jp/2016/04/notice-of-private-lessons-for-one-more.html

タイ・ファップ・リン

タイ・ファップ・リン(中央)