Friday, June 10, 2016

欺かれた仏教(輪廻転生と儀式)

次のティク・ナット・ハンとのインタビュー記事をご一読ください。
http://www.lionsroar.com/be-beautiful-be-yourself-january-2012/?utm_content=buffercc1a4&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=Pema+SIP

以下は輪廻転生と儀式に関する部分の抜粋です。

引用:
質問:仏教徒になるには、輪廻転生を信じる必要がありますか?

回答:輪廻転生は、あなたの体から出て行き、別の体内へ入る魂が存在することを意味します。それは仏教において大変人気がありますが、継続についての非常に誤った概念です。もし、体に生息し、体が崩壊する時に体から出て行き別の形(体)を得る自我(エゴ)があるとあなたが考えるなら、それは仏教ではありません。

あなたが人間を観てみると、五蘊、即ち(人間を構成する)要素である形(体)感情知覚心行(精神形成物)意識を理解します。これら五蘊の外には、魂も我(エゴ)もありません。ですから、(集合していた)5つの要素が解散(溶解)へ向かう時、あなたがあなたの一生の間に行ったカルマ行動が、あなたの継続になります。あなたがしたことや考えたことは、エネルギーとして依然として存在します。あなたが継続するのに、魂、即ち自我(エゴ)は必要ありません。

それはのようなものです。雲が存在しない時でさえ、雲はとして常に継続しています。雲は、継続するためにを持つ必要はありません。始まりも終わりもありません。あなたは、継続するためにこの体が完全に溶解するまで待つ必要はありません。あなたは一瞬一瞬継続しているのです。私が数百人に私のエネルギー伝送すると仮定しましょう。そうすると、彼らは私を継続(継承)します。あなたが彼らを見るなら、(彼らの中に)私を見る、というか、あなたは私を見たのです。もし、あなたが、[自分を指さして]私はこの肉体でしかないと思うなら、その場合あなたは私を見なかったのです。しかし、あなたが私の演説や私の行動の中に私を見る時、あなたは彼らが私を継続していることを理解します。あなたが私の弟子生徒友人を見る時、あなたは私の継続を見ます。私は決して死ぬことはありません。この体の溶解はありますが、それは私の死を意味するものではありません。私は常に継続します。

このことは、私たち全員に当てはまります。五蘊は常にエネルギーを生み出していますので、あなたは単なるこの肉体を超えています。それはカルマ、即ち行動と呼ばれています。しかし、行為者はいません。あなたは行為者を必要としません。行動だけで十分です。このことは、量子物理学の観点から理解することができます。質量とエネルギー、そして力と物質は、2つの独立した物ではありません。それらは同一です。

質問:儀式で仏教徒になれますか?

回答:いいえ、仏教徒になるのは儀式によってではありません。仏教徒になるのは実践に全力を傾けることによってです。仏教徒は多くの儀式祭典に捕捉されますが、仏陀はそれを好んでいません。経典では、特に仏陀が悟りを開いた直後の教えにおいては、私たちは儀式をなくすべきであると仏陀は言いました。あなたがただ儀式を行ったからといって、悟り解放を得ることはありませんが、人々は仏教をひどく儀式を偏重するものにしてしまいました。私たちは仏陀に親切ではありません。

質問:あなたは何が人を仏教徒にすると思いますか?

回答:仏教徒と呼ばれてはいないかもしれない人が、仏教徒の人よりも仏教徒であり得ます。仏教は、マインドフルネス集中洞察からできています。あなたがこれらのものを持っているなら、あなたは仏教徒です。そうでない場合は、あなたは仏教徒ではありません。あなたが人を見て、その人がマインドフルで、思いやりがあり、理解があり、洞察力を持ってることが分かると、あなたはその人が仏教徒であることを知ります。しかし、その人が尼僧だとしても、これらのエネルギー資質を持っていないなら、仏教徒の外見をしているだけで、仏教徒の中身は持っていません。

(解説)
ティク・ナット・ハンの教えは、正真正銘の仏陀の教えである、と私は本当に感じます。そしてまた、輪廻転生と過度な儀式は欺かれた仏教の2つの例である、と指摘するティク・ナット・ハンに私は同意します。チベット仏教は、所謂死亡時に微細な意識が体から離れる、と説いていることを私は知っています。そして驚くべきことに、ティク・ナット・ハンの弟子の一人(法師)ですら「仏陀は、私たち(意識)がこの体を離れる時、私たち(意識)は自分の行動の結果を私たち(意識)と一緒に連れて行くと言いました」、と記述していることも私は知っています。ティク・ナット・ハンが言う通り、それは欺かれた仏教です。体と意識は相互に依存し浸透しています。意識は常に体と一緒にいますから、体から離れることはできません。意識は体から離れて単独で存在することはできません。それが正真正銘の仏陀の教えです。

儀式については、「私たちは儀式をなくすべきである」、という仏陀の言葉に私は完全に同意します。そして、「仏教徒になるのは儀式によってではありません。仏教徒になるのは実践に全力を傾けることによってです。あなたが、ただ儀式を行ったからといって、悟りや解放を得ることはありません」、というティク・ナット・ハンの言葉に私は完全に同意します。「仏教は、マインドフルネス、集中、洞察からできています」、というティク・ナット・ハンの言葉はシンプルですが、非常に説得力があります。

日本では、美輪明宏さんや江原啓之さんが、体から離れる魂について語っていますが、「欺かれた仏教」ですので注意する必要があります。

(参考) 
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-40724856
http://www.slideshare.net/compassion5151/ss-43851275