Thursday, September 22, 2016

世界=心の対象=心の投影

次のティク・ナット・ハンの法話を1:31~2:14迄、深くご覧ください。


以下は、ビデオからの抜粋です。

引用:
ですから、今、ここで、私たちの体の中で、気持ちの中で、心の中で、心の対象である世界の中で、起こっていることに自分を気付かせてあげるエネルギーの一種として、マインドフルネスを定義することができます。仏教の伝統では、私たちは常に、「世界は私たちの心の対象である」ということを覚えておこうとします。私たちの心と世界は、知覚を形成します。(私たちの心が)知覚の主体、(世界が)知覚の客体
:引用終わり

(解説)
世界は、私たちの心の対象です。ですから、世界は私たちの心の状態に依存します。デヴィッド・ボームは、「私たちの見方は、私たちの考え方に依存する」と言いました。世界には2種類、即ち外部の世界と内部の世界があります。私たちの心が穏やかで透明でない場合、心の投影によって幻想の世界を見ます。私たちの心が穏やかで透明な場合にのみ、現実の世界が心に映し出されます。

< 外部の世界 >
穏やかでない心(波立つ水面)⇒外部の現実を映し出せない(反射できない)⇒幻想(=心の投影)を見る
穏やかな心(静水:鏡)⇒外部の現実を映し出せる(反射できる)⇒洞察を得る

私たちの心が穏やかでないなら、外部の世界は幻想です。なぜなら、私たちの心は外部のあるがままの現実を映し出せない(反射できない)からです。それは、池の波立つ水面のようなものです。
私たちの心が穏やかなら、外部の世界は現実です。なぜなら、私たちの心は外部のあるがままの現実を映し出せる(反射できる)からです。それは、池の静水、即ち鏡のようなものです。

< 内部の世界 >
透明でない心(汚れた水)⇒内部の現実を見透かせない幻想(=心の投影)を見る
透明な心(透明な水)⇒部の現実を見透かせ⇒洞察を得る

私たちの心が透明でないなら、内部の世界は幻想です。なぜなら、私たちは内部のあるがままの現実を見透かせないからです。私たちの心は池の汚れた水のようなものです。
私たちの心が透明なら、内部の世界は現実です。なぜなら、私たちは内部のあるがままの現実を見透かせるからです。私たちの心は池の澄んだ水のようなものです。

それ故に、現実の本質に触れるためには、私たちは透明で穏やかな心を持つ必要があります。透明で穏やかな心を持つ手法は、仏陀とティク・ナット・ハンが説くマインドフルネス、集中、洞察です。 

(参考)http://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS

ニュージーランド、クック山国立公園、マセソン湖