Monday, January 23, 2017

思考 (1)

次の「私たちの思考を気遣う」というティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/vb.7691064634/10154446854299635/?type=2&theater
以下は上記ビデオからの抜粋です。

引用:
(-1:03:25~)
なぜなら、神の王国の本質は、理解と愛だからです。(中略)実践者たちは更なる理解と思いやりを生み出しますので、苦しみが軽減します。彼らは苦しみを思いやり、理解、幸福へ変容することができます。プラム・ビレッジにおける実践は、私たちの日常生活の中で神の王国や仏陀の浄土を体験することです。

もちろん、神の王国はここにあると、私たちは言うことができます。 しかし、それだけでは十分ではありません私たちはその王国が顕現するのを助けなければなりません。そして、マインドフルネス、集中、少々の自由がなければ、私たちはそうすること、つまり王国を顕現させることはできません。神の王国は私たちの大脳皮質の中にあります。 神の王国は私たちの心の中に見つけ出すことができます。そして、もし私たちが自分の大脳皮質の中、つまり私たちの心の中にある王国に触れることができるなら、その王国は顕現します。

(-59:47~)
私たちの大脳皮質にも同じことが当てはまります。同じことが私たちの心や精神にも当てはまります。もし、私たちが自分の中にある理解と思いやりの強力なエネルギーを配分する方法を知っているなら、私たちの日常生活における多くの困難な問題を処理することができます。もし、私たちが評価するのを助けるために、その強力な要素が私たちの生活に浸透することを許さないなら、私たちの日常生活において非常に困難な状況に遭遇するかもしれません。私たちの内面には非常に強力なコンピューターがあります。そして、日常の苦しみ、私たちを苦しめる状況に対処するために、皆さんはそのコンピュータを適切に使用する方法を学ぶ必要があります。

(-58:11~)
仏陀は私たちが実践すること、つまり私たちが八正道に従って生きることを提案しました。そして、私たちが仏陀の指示に従い、正見(正しい見方)、正思惟(正しい思考)、正語(正しい発言)、正業(正しい行動)を実践するなら、自分の心の広大な領域を探索でき、これらの素晴らしい力に私たちを救いに来てもらうことができるでしょう。実際は、私たちは限られているというか、自分が自分自身を非常に小さな領域に制限しています。私たちの思考、私たちの見方は、非常に狭いです。それが故に、私たちは仏陀や菩薩よりもはるかに多く苦しむのです。

(-56:46~)
思考について話しましょう。 私たちは常に考え続けています。私たちの思考の多くは、あまり肯定的ではありません多くの思考は、私たちを否定的な思考の犠牲者にしています。あなたが「自分は何の役にも立たない」と言う時、それがその種の思考です。それには、あなたを苦しめる力があります。「私はそれを終わらせることはできない。」「私は瞑想できない。」「私は許すことができない。」「私は絶望している。」「私は決してそれをすることに成功しない。」その種の思考です。または、「彼は私を破壊しないだろう。」 「私は誰からも愛されていない。」この種の思考は、仏陀が正思惟(正しい思考)と呼んだものではありません。そして、この種の思考は現実に一致していません

私たちには、理解する能力と愛する能力があります。そして、私たちは能力がありませんとか、私たちは理解と思いやりの地盤に触れることに慣れていないと言います。ですから、私たちは正思惟(正しい思考)に沿って提案できないのであり、寛大になれないのであり、素晴らしい思考を生み出すことができないのです。仮にあなたの友人があなたを理解していないとしましょう。仮にあなたの兄弟姉妹があなたを理解していないとしましょう。 仮にあなたの先生があなたを愛しておらず、あなたを理解していないと、あなたが考えているとしましょう。すると、あなたはそのような考えを受け入れてしまい、苦しみます。 その思考は現実には全く一致していないかもしれません。そして、あなたはその思考に光を当て続けます。すると、あなたは正思惟(正しい思考)を実践していませんので、同種の他の思考ですぐに抑うつ状態になります。
:引用終わり

(つづく)

(解説)
ティク・ナット・ハンは、「神の王国は私たちの大脳皮質の中にあります。 神の王国は私たちの心の中に見つけ出すことがでいきます。そして、もし私たちが自分の大脳皮質の中、つまり私たちの心の中にある王国に触れることができるなら、その王国は顕現します。」と言いました。神の王国仏陀の浄土、即ち涅槃は、究極の次元、即ち本体の世界にあります。ですから、ティク・ナット・ハンは、究極の次元、即ち本体の世界は、私たちの大脳皮質、即ち歴史的次元、現象界の中にあることを意味したのです。言い換えれば、涅槃は私たちの中、即ち私たちの心(阿頼耶識)の中にあるということです。そして、私たちの心は、大脳皮質だけでなく、全身の各細胞の各素粒子の中にもあると、私は理解しています。

これはまた、本体の世界には時間と空間がありませんので、私たちが時空を超越できることを意味します。この意味で、時間と空間なしでは何も存在できませんので、私たちは物質ではないということです。目覚めた意識だけが時空を超越して、現象界と本体の世界で同時に生きることができますので、むしろ、私たちは目覚めた意識なのです。