Tuesday, January 24, 2017

思考 (2)

次の「私たちの思考を気遣う」というティク・ナット・ハンの法話ビデオを深くご覧ください。 
https://www.facebook.com/thichnhathanh/videos/vb.7691064634/10154446854299635/?type=2&theater
以下は上記ビデオからの抜粋です。

引用:
(-52:03~)
仏陀は正思惟(正しい思考)の実践を提案しました。座禅中や歩行瞑想に、アイデア思考が生じるかもしれませんが、たとえそれが否定的であったとしても、あなた自身を思考の犠牲にしてはいけません。ただ思考が生じるままにし、思考を認識してください。それで十分です。「これは思考だ。この思考はただの思考であり、現実ではない。」(中略)あなたが自分の思考を認識できる時、もはや思考の犠牲者ではありません。あなたはあなた自身(目覚めた意識、本当の自分)です。

(-48:30~)
あなたが理解と愛の方向、即ち正しい思考の方向に向かう思考を生み出すことができるなら、それはあなたの健康(肉体的健康と精神的健康)に明るい効果を及ぼします。正思惟(正しい思考)、それは神の王国の方向へ向かうを思考、理解と愛の方向へ向かう思考ですが、その思考はあなたの精神的、並びに肉体的な健康に直ちに効果を及ぼします。 そして同時に、その思考は世界の健康に効果を及ぼします。

あなたが否定的で、あなたの恐れ怒り「私は何も価値がない。私は何もできない。私の人生は失敗だった」といったような悲観から生まれた思考を生み出す時、その種の思考はあなたの精神的健康と肉体的健康に非常に悪い影響を及ぼします。仏陀が提供した実践は、これら否定的思考を抑圧するのではなく、ただそれらに気付くことです。「これは否定的な思考だ。私はそれが認識されるままにしておく」といった風に。

(-46:01~)
あなたが思考を認識できる時、もはや思考の犠牲者ではありませんので、自由度を高めます。しかし、もしあなたが実践者でないなら、これらの思考にやっつけられます。 あなたはあなたを抑うつ状態に陥れるであろう否定的な状況を照らし続けます。思考の存在を認識すること、感情の存在を認識することは、非常に重要です。それが瞑想実践者の基本的な実践です。感情や思考を抑えようとはしてはいけません。あなたの感情や思考に顕現させてあげてください。しかし、あなたがその存在を認識するためには、そこに居なければなりません。その場合、あなたはあなたの自由を育んでいます。

(-44:15~)
私たちの日常生活では、思考や感情現れ、生まれ、留まり、去り、戻るがままにさせておき、その存在を認識できていません。そのため、私たちはこれらの思考や感情の犠牲者になるのです。私たちは感情や思考や知覚の領域で迷ってしまいます。私たちは真に存在していませんので、私たちの思考、感情、知覚の犠牲者になるのです。実践は、何が起こっているのかを目撃し、調べ気付くために、今ここに存在し続けることです。それが自由の実践です。
:引用終わり

(つづく)

(解説)
このティク・ナット・ハンの法話には、二つのバージョンの自己、即ち独立した自己(エゴ)独立していない自己(本当の自分、目覚めた意識)が出てきます。私たちの感情、知覚、思考を認識したり目撃するためには、私たちはまず本当の自分に戻る必要があります。言い換えれば、私たちは最初に思考を止めることによってマインドフルになる必要があるのです。ですから、このティク・ナット・ハンの法話は、今、この瞬間に本当の自分を確立した後に、思考、即ちエゴが復活したという前提になっています。

この悟り(本当の自分に戻ること)は、完全な悟りではなく、一時的な悟りでしたので、この思考、即ちエゴの復活が起こるのです。ですから、パート・タイムの仏陀は、自分の感情、知覚、思考が生じる度にそれらの世話をし続けなければならないのです。絶え間ないマインドフルネスの実践がなければ、パート・タイムの仏陀は再びエゴによって覆い隠されてしまいます。しかしながら、もし私たちが全ての概念の絶滅によって完全な悟りを開いたなら(フルタイムの仏陀になったなら)、再びエゴによって覆い隠されることは決してありません。

(参考)http://www.slideshare.net/compassion5151/3-46874436