Saturday, March 4, 2017

正思惟(正しい思考) = 非思考

次のティク・ナット・ハンの正思惟(正しい思考)についての法話を、25:07~28:50迄、深く傾聴してください。
https://tnhaudio.org/2017/02/26/practice-engaged-buddhism/
以下は抜粋です。このティク・ナット・ハンによる正思惟(正しい思考)の明確な説明は、正に私が探していたものであり、完全に同意します。

引用:
次に、(八正)道の第二の側面は正思惟(正しい思考)です。絶対的真理に関する限り、正思惟(正しい思考)は全ての思考の欠如です。正思惟(正しい思考)は、現実との直接的な遭遇です。あなたは考える必要はありません。あなたがマンゴーを味わっているように、あなたは本物の、真の、本当のマンゴー体験をしているのです。マンゴーはこのような味、そのような味という風に、あなたはマンゴーの概念を考える必要はありません。あなたはマンゴーの現実を手に入れましたので、マンゴーの概念は何も必要ありません。そうでしょ?ですから、正思惟(正しい思考)は完全な非思考です。

しかし、あなたが本当のものを手に入れていない時には、迷子にならないように、数種の概念、数種の方向性が必要です。あなたはマンゴーの方向へ行かなければなりません。ですから、正思惟(正しい思考)は、4つの栄養の観点からの思考です。正思惟(正しい思考)は、無常(空の時間的側面)、無我(空の空間的側面)の観点からの思考です。正思惟(正しい思考)は、助けになります。なぜなら、あなたが我(自己)の永続性(永久不変)の観点から考えるなら、あなたはなおさら苦しむからです。そして、これらは4つの栄養としての教えであることを覚えておくことが常に重要です。四諦、八正道、無常、無我は、実践のための道具なのです。それは正思惟(正しい思考)です。

そして、あなたがこれらを概念として、戦ってそのために死ぬ教義として考えるなら、それはもはや正思惟(正しい思考)ではありません。たとえ、これらが仏教用語であったとしても、私たちは仏陀の教えから自由でなければなりません。私たちは仏陀の教えからでさえ自由でなければならないのです。あなたが仏陀の教えに捕捉されるべきでないなら、あなたはその教えを上手に使うべきであり、捕捉されてはなりません

そして、正見(正しい見方=全ての見方の欠如=私たちを解放する能力=洞察=智慧)は、正思惟(正しい思考)に非常に役立ちます。(思考の)作家はあなたの見方ですので、(正見によって)あなたの思考はより良くなります。そして、それら(正見と正思惟)は互いに相互に作用します。あなたの思考が良い方向にある(非思考)なら、あなたの正見が成長し、あなたの自由が拡大します。
:引用終わり

<鍵となる語句>
正思惟(正しい思考)は全ての思考の欠如です。
正思惟(正しい思考)は完全な非思考です。
正思惟(正しい思考)は、4つの栄養の観点からの思考です。
正思惟(正しい思考)は、無常(空の時間的側面)、無我(空の空間的側面)の観点からの思考です。
四諦、八正道、無常、無我は、実践のための道具なのです。それは正思惟(正しい思考)です。
あなたがこれら(四諦、八正道、無常、無我)を概念として、戦ってそのために死ぬ教義として考えるなら、それはもはや正思惟(正しい思考)ではありません。
正見(正しい見方)は、正思惟(正しい思考)に非常に役立ちます。
(思考の)作家はあなたの見方ですので、(正見によって)あなたの思考はより良くなります。
正見と正思惟は、互いに相互に作用します。

(参考) 
http://compassion5151.blogspot.jp/2016/09/blog-post_30.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2017/01/2.html
http://compassion5151.blogspot.jp/2017/01/blog-post.html
ティク・ナット・ハンの書