Wednesday, March 15, 2017

認識 = 気付き = 悟り

次のティク・ナット・ハンの悟りに関する法話を00:47~02:49迄、深く傾聴してください。


以下は抜粋です。

引用:
唯一、仏陀、完全な仏陀が、一日中目覚めている人です。しかし、私たちは時折しか目を覚ましませんですから、私たちの日常生活の中でもっと目を覚ますために、マインドフルな呼吸を実践すべきなのです。

私は認識について話しますし、悟りについても話します。なぜなら、認識と悟りは同じ内容だからです。そして今、同一であるマインドフルネスという言葉があります。なぜなら、あなたが起こっていることに気付いている時、あなたは認識しており、あなたは悟っているからです。

ある実践を考えてみましょう。

「息を吸って、私は良い目を持っていることを知っている。」
「息を吐いて、私は私の目に微笑む。」

それが認識であり、それが良い目を持っていることの気付きです。しかし、それはまた悟りでもあります。なぜなら、私が良い目を持っていても、私がそれを知らなければ、私は全く悟っていないからです。ですから、悟っているということは、マインドフルである(気付いている)ことと同じ意味です。そして、あなたがそのような認識を持っているなら、一瞬一瞬悟りを得ることができます。

ですから、私たちの多くは失念して日々を過ごします。私たちは(肉体的には)生きていますが、私たちは(精神的には)生きていません。私たちは過去に迷います。私たちは将来について大変心配し、将来を恐れています。私たちは非常に多くのプロジェクトを作り、将来を楽しみにしています。私たちには、全てが存在している今、この瞬間に生きている能力がありません。そのように生きる人は失念して生きています。すると、彼らには生命が手に入りません。そして、彼らは死体を肩の上に担いで、彷徨いまわる人のように生きます。彼は既に死んでおり、彼女は既に死んでいます。
:引用終わり

(解説)
小さい子供たちや熟睡状態を除いて、ほとんどの人は目覚めていません。しかしながら、その人たちはマインドフルではありませんので、そのことを認識できません。本当に生きているためには、目覚めた意識(無自性自己)に戻ることによって、マインドフルになる必要があります。鍵は思考を停止することです。

(参考)https://www.amazon.co.jp/dp/B012YZBHHS